プロフィール

菊美ものがたり


1957年11月20日静岡県賀茂郡下田町稲梓村(現在下田市)に生まれました。生まれた日、丹精込めた菊は市場で1本3円。怒った農家の父は「菊三」と名づけようとしましたが、母が「菊美」にしてくれました。

「食」と平和

農家の父は米、野菜、花など新し

い栽培に頑張っていました。一家

総出で田畑を耕していました。苦

労したとおもいますが、私には楽

しかった思い出しかありません。

写真は兄と満2歳

写真の裏に母の文字で「一番大事

な写真」と書かれていました。

米軍機墜落・母子3人の無念

東京家政短大在学中に横浜で米軍戦闘機が墜落、母子3人含め9人死傷。なぜ米軍機が日本で墜落?戦争でもないのに? 不安で胸がつぶれそうでした。事件を報じた「しんぶん赤旗」を生まれて初めて池袋駅前で買い、日本の空を米軍が優先している事を知りました。共産党を知るきっかけでした。


食は希望ーいのち・健康のみなもと 大田病院で管理栄養士25年

大田病院に入職し、「合併症の不安、厳しい食事制限に、生きる希望もない」と苦しむ患者さんを励ます仕事が生きがいでした。「病気になりたくてなる人なんてだれもいない」と医療改悪に坑し、いのち・健康大切にする社会へと活動を続けてきました。


5期・20年 正々堂々と発言できる共産党議員でよかった

2003年区議会議員に。「病に倒れ、障害を持ち、声を上げることのできない人々の代わりに働く議員になってほしい」の声がいまも原動力に。「5期20年、どんなことにでも国民・区民の立場を貫き、議会内外で正々堂々と発言できる共産党議員で本当によかった」と思う日々です。